AIと数学コミュニティ

(以下の文章は、facebookの投稿を転載したものです。)

AIが数学という営みに与える影響について、何度か書こうとしてはやめる、ということが数週間、続いていました。

以下で述べることは、結論だけ取り出せば自己保身にしか聞こえないようなものになってしまったので、黙っていようかとも思いましたが、やはり、はっきりと言えることは言っておいたほうがいいと思って、ここに書くことにしました。

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これまで私も、AIが数学を完全に変革する可能性については色んなところで語ったり、書いたりしてきましたが、実際にそのときが2026年度の前半に訪れることは想定していませんでした。いつかそのときが来るとは思っていましたが、思っていたより数年、早かった。

この一連の騒動が始まってから何度か、眠れない夜を過ごしたこともあることから考えても、本当の意味での「覚悟」ができていなかったのだと思います。

世界中で、数学者やAI企業の関係者はもちろんとして、いろいろな人が、将来予測やこれからあるべき数学のあり方について、それぞれの意見を述べています。そのどれが正しいのかは私にはわかりません。もちろん、私にもそれなりの将来予測や、将来あってほしい姿のようなものはありますが、それはここでは深く述べません。なぜなら、AIが数学の研究のあり方に不可逆な変化を及ぼすことはほぼ間違いないものの、その変化があまりに急激なので、来年どころか数ヶ月先の状況を予測することすら難しいからです。

実際、この数ヶ月、数学の研究の将来像を見いだすために、AIを使った数学の研究の実験に多くの時間を費やしてきました。しかし、その結果、少なくとも現時点においては、「いまどれだけAIとふれあっても、将来のAIとの付き合い方について決定的な回答を出すことは不可能だ」と判断しました。AIモデルが更新されるたびに驚くべき性能進化を遂げるため、それまでに描いた将来像も修正を余儀なくされるからです。

色々と試した結果、将来予測については、白旗をあげることになりました。

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しかし、数学の将来像を精確に描くことが(私だけでなくおそらく誰にとっても)困難であるようだ、という認識に至ったことで、少なくとも一つ、おそらくは最も優先すべき課題が明確になったように思われました。

それは、人とその育成システムを守るということです。

特に、若い研究者や学生が抱えているであろう不安を、一刻も早く払拭する必要があると思います。

人間の数学者が未来永劫必要であるかどうかは、まだ誰にもわかりません。しかし、人や育成システムは一度失えば容易には取り戻すことができません。なので、何を言われようと、今は維持する必要があります。

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あまりにも身も蓋もない、保守的で、つまらない結論と映るかもしれません。私自身も、「AIが数学を変革するぞ! 楽しみだぞ!」などと先鋭的ぶった主張を方々で吹聴しておきながら、この結論に落ち着いたことに驚いています。見識のある方々からすれば「何を今更」と思われるかもしれません。しかしそれでもなお、なぜそのように思うに至ったかを書き残しておきたいと思います。

先ほども述べたように、AIが数学にどのような変化をおよぼすのか、我々がどのようにこれからの制度を設計すべきか、ということに対して決定的な回答は得られていないと思います。

「これからどうなるか、ほんとになにもわからない!」のです。

そのようなまったく不確実な状況に対処するに当たって、我々は何をすべきか。以下の3つだと思っています。

1.不確実性と正面から向き合い、前向きに、柔軟に、健康を可能な限り保ちながら、時にはしっかりと休みつつ、対処し続けること

2.いろいろな人と対話し続けること。考え続けること

3.失ったときに取り返しがつかなくなる、あるいは取り返すのに膨大なコストがかかると想定されるものについて、それが社会にとって完全に不要だとわかるまでは、できる限り守ること

3番目の項目に該当するもののうち、私は現時点で「人を守る」ことが最重要だと思います。人はコピーできず、量産できず、一度失うと取り戻すことは非常に困難です。とりわけ、数学のような、社会全体においてはマイナーで、かつ、ある種の信念・情熱・能力を兼ね備えた人でなければ決して飛び込まないような領域においては。

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少なくとも今のまま放っておくと、以下のことがそれなりの確率で起こり、一度そうなれば取り返しがつかなくなると思います。なので、これを防ぐことが喫緊の課題だと考えています。

1.学生の「数学者」を目指す動機が弱まる

2.社会が「数学者」という存在(職業)への支援を縮小する

3.上記の2つの結果として数学者コミュニティが大きく縮小する

現在の「AIが数学者の知性を超えるか?」といった議論やそれをとりまく風潮は、学生のキャリアパスの決定や、社会が数学コミュニティに向ける視線に、大きな影響を与えていると思います。これによって、上記の1と2が引き起こされる危険があると思っています。

しかし私は、「人間の数学者は今後も長期的に必要である」という(私が信じる)主張に絶対的根拠を提示できないのと同様に、「現在の若手の将来に影響するほど近い未来に人間の数学者の能力の全てがAIに代替される」ことにも有力な根拠がないと思っています。そして、数学者の養成には途方もないエネルギーと時間が必要であることを、当事者である私はよく知っています。さらに、少なくとも現時点のAIモデルを通じた知識習得を中心とする教育だけでは、「現存する数学者と同等の能力を持つ人間の数学者を育成すること」を再現できない可能性が非常に高いと思っています。

したがって、いま「数学者という職業、およびそれに付随した育成システムを縮小する」という選択を行うことは、不適当だと私は断言します。不要かどうか現時点では誰にもわからないにもかかわらず、もし失えば取り返しがつきません。

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「あんたも数学者だろ、食いっぱぐれたくないから言っているんだろ」という人がもしいれば、率直に「はい、それも理由のひとつです」と答えます。人間ですから、幸せになりたいし、自分が大切にしているものを守りたいと思います。しかし、私自身は、仮に数学者という職業がこの世から完全に消滅してしまったとしても、どうにかして生存できると思っています(こんな投稿をしていますが、私は超楽観主義者です)。

自分の食い扶持のこともさることながら、私は数学という営みをとても大切に思っています。そして、それがおそらくこれからの社会ではもっと大切になり得るのではないか(そのことを明確に論証することは、上で述べたとおり、残念ながらできませんが)、とも思っています。

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我々には時間がないです。

だから、時間をください。しばらくの間、数学者を温かく見守ってください。

我々は、AIとどのように生きていくのかということを、とても真剣に、個人レベルでも、コミュニティレベルでも、考えて、議論しています。制度設計について議論を重ね、教育のあり方を模索し、学術としての数学の価値も改めてゼロベースで考え直そうとしています。

しかし一方で、AI企業が打ち出す様々な印象的な発表によって、数学はかつてないほど社会から注目を浴びています。一部のひとびとは、既に、数学を離脱しはじめています。数学に情熱を燃やしていた若人に、おそろしい量の「冷や水」が、世間話を通じて、ニュースを通じて、SNSを通じて、浴びせかけられています。

将来がどうなるかまだ何もわからないにもかかわらず、センセーショナルな「社会の雰囲気・風潮」を前に、若い人たちが大きな不安を抱えています。数学コミュニティがよい「解」を導き出すまでの間、若手のキャリアパスを、そして学生が「数学者を目指す」という道を、明るく保つ必要があります。彼らの情熱の灯を守る必要があります。

そして、そのためには、数学者という職業そのものを安定して維持することがどうしても必要です。

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社会の皆様にお願いします。

数学者という「職業」を守ってください。

少なくとも、AIが数学に及ぼす影響が十分に明らかになるまでは。

ご存じの通り、数学という営みは多くの場合、社会の皆様の寛大な意思と理解によって成り立っています。ですから、将来的には他の道があり得るとしても、今このときに「人を守る」ためには、皆様の支えが不可欠です。数学者コミュニティが新時代における道を見いだし、整備するまで、どうか見守ってください。

特に、数学者の雇用制度や、研究助成などについて決定権や影響力をお持ちの方々には、制度を急激に変更したり、プレッシャーを与えたりしないようにお願いしたいです。若手ポストや教育機会を将来予測だけを理由に削らないように、お願いしたいです。

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学術界の皆様にもお願いします。

どうか「数学者」を見守り、応援してください。

少なくとも、AIが数学に及ぼす影響が十分に明らかになるまでは。長期的にも、人間の数学者は重要な役割を担い続けると私は信じています。

できれば、「人間の数学者が将来不要になるとは、現時点では到底言えない。だから少なくとも当面の間、若手を長期的な視点で育成することも含め、数学者コミュニティを維持する必要がある」といったようなことを、(もし同意していただけるなら)折に触れて、差し支えのない範囲で、周りの方々にお伝えいただくことなどできましたら、とても強力な援護になると思われます。

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まとまらない文章にもかかわらず、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

AIによる社会の変革(および風潮)の波に、数学者はいま、立ち向かっています。

このあとどうなるかはわかりません。私たちは、まさしく、裸一貫です。無手勝流です。もしかしたら、AIに対処するための、社会にとっても役立つロールモデルを打ち立てられるかもしれません。

お力添えのほど、どうぞよろしくお願いいたします。


*1:この投稿では、数学者の雇用に当たってどのような基準を採用すべきか、といったことには触れませんでした。少なくとも論文数(のみ)で業績を測ることは、今後急速に、適切でなくなっていくと思われます。AI時代にどのような基準を用いるべきかについては、数学コミュニティが自ら、試行錯誤を重ねつつ、模索すべきだと思います。

*2:また、この投稿で「職業としての」数学者を問題にしていることを訝しむ方もいらっしゃるかもしれません。私は、社会全体において数学の研究に関わる人の数は、むしろ増加すると思っています。実際、現時点において既に、職業として数学を研究しているわけではないけれど、AIを活用して数学の論文を書く人がたくさん現れています。そして、私はそれは(少なくともその部分だけ取り出せば)良いことだと思っています。一方で「自由時間の大半を数学の研究に投入する、数学にフルコミットする」という意味での数学者という社会的役割は、現時点においてはその大部分が職業数学者によって担われていることも事実です。そしてそのようなフルコミット型の数学者が、今後の数学の発展にとって長期的にも必要である確率は高いと思っています。本投稿では主に、上記の意味での、フルコミット型の数学者とそのコミュニティの存続を問題としています。

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